正覚寺 六百五十年以上の歴史を持つ 浄土宗の古刹

正覚寺について

正覚寺は一三六六年(貞治五年)、良如上人によって建立された浄土宗寺院である。

この地は、南北朝時代に越前守護職であった足利(斯波)高経の手により新善光寺城が築き上げられたが、
一三三八年、新田義貞との戦により焼失した。今でも境内の一画に土塁跡が残っている。

本堂内には、正面に阿弥陀如来像(市指定文化財)を祀り、その両側には、善導大師像と法然上人像をお祀りしている。
本堂は開山以来、火災で三度焼失しており、現在の本堂で約一五〇年前に再建立されたものである。

墓地には、結城秀康の四男で本多富正の養子となり六歳で亡くなった吉松丸(超岳院殿)の墓がある。

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境内案内 境内案内

浄土宗の大寺で、5つの塔頭寺院を
有します。
山門は江戸時代の本多家の
居城・府中城の表門を移築。
高さ5メートルで雪対策の石瓦が
特徴です。


永代供養 永代供養

現代の日本社会では、かつての「家」制度の崩壊や核家族化の進行により、お墓を求めるにあたっても様々な問題があります。
当寺院は、これらの悩みを持つ方々のために永代供養をいつでも受け付けております。


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交通アクセス 交通アクセス

太西山正覚寺の創建は貞治5年(1366)、良如上人が南北朝期に越前守護斯波高経が築城した新善光寺城の跡地に開いたのが始まりと伝えられています。
新善光寺城では延元3年(1338)に新田義貞などが侵攻し激しい攻防戦が繰り広げられ多数の戦死者が出ており、その戦没者を慰霊する為に正覚寺を創建したとされ境内には新善光寺城の土塁跡などが残され越前市指定史跡に指定されています。
江戸時代に入ると府中藩主本多家が庇護し初代藩主本多富正の養子吉松丸が葬られるなど菩提寺の1つとなっています。吉松丸は徳川家康2男結城秀康(福井藩初代藩主)の4男で当時福井藩筆頭家老だった富正の養子となりましたが慶長14年(1609)1月3日、享年6歳で亡くなり正覚寺に埋葬されました。
山門は廃藩置県後に廃城となったた府中城の城門を移築したもので高麗門、切妻、石瓦葺(笏谷石)、潜戸付、桁行3.27m、梁間2.05m、高さ5m、数少ない府中城の遺構として貴重な事から平成13年(2001)に越前市指定文化財に指定されています。
現在の本堂は慶安、宝暦、嘉永と3度の火災後の安政4年(1857)に再建されたもので入母屋、桟瓦葺、平入、桁行6間、正面3間向拝付、花頭窓付。
寺宝が多く、十六羅漢図(室町時代)、絹本着色涅槃像図(室町時代)、絹本着色阿弥陀三尊来迎図(室町時代初期)、絹本着色二十五菩薩来迎図(室町時代初期)、金銅阿弥陀如来像立像(鎌倉時代)、木造阿弥陀如来座像(平安時代末期)、金銅孔雀文磬(鎌倉時代)、押出阿弥陀三尊及び比丘形像(奈良時代)、石造宝篋印塔(附・石室・石幢)が越前市指定文化財に指定されています。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

寺院概要

寺院名 太西山(たいせいざん)
正覚寺(しょうがくじ)
宗派 浄土宗
住職名 江藤 英賢(えとう えいけん)
住所 〒915-0813
福井県越前市京町2-1-8
アクセス 北陸本線「武生駅」徒歩10分